1987年7月9日(木)
朝の5時に目が覚めた。外は朝もやが掛かっていて一面に真っ白だが、天気は悪くないと見た。昨日は結局帯広に連泊してしまったので、結果的に一歩も前進していない事になる。今日の夕方には霧多布でカトーが待っている筈なので、先を急がなくてはいけない。
朝の準備をして、バイクの荷造りをしていると、早朝なのに昨日の宿泊者の二人がわざわざ起きてきて見送りをしてくれた。オーナーに一言挨拶が出来なかったのが心残りだが、朝の5時半、ヤドカリの家を出発。
国道38号線で帯広を脱出。幕別から南下している頃からもやが薄くなってきて、豊頃を通過する頃には完璧に晴れて青空が広がった。眩しいほどの快晴だ。
このまま国道38号線を進めば釧路へ到着するが、途中気まぐれで新吉野で十勝太方面に寄り道する事にした。このルートは海岸線に向かって走り、昆布刈石海岸を通過し、直別で再び国道38号線に合流するという迂回路になっている。
この道を選択したのは看板を見て決めたのだが、そこはなだらかな丘陵地帯を走るご機嫌なフラットダートだった。丘のすぐ下に海が見える海岸線には見渡す限り自分の外は誰もいない。その広大で雄大な風景の中には自分一人しか存在しないのである。
見渡す限り誰も居ない
海を眺めながら走っていると砂浜に降りれそうな場所があったので、記念撮影でもしようと軽い気持ちで波が打ち寄せる砂浜に降りた。湿り気を帯びた砂浜の走行は快適で、すごく楽しい。しかし、行きはよいよい帰りは怖い。気軽に砂浜に降りた場所は乾燥た砂が深く、荷物が重いせいもあり強力なTWのタイヤをもってしても道路に戻るのは困難を極めたが何とか脱出成功。
釧路湿原を突っ走れ!
TWは厚内を通過し、直別で無事国道38号線に合流。そのまま釧路を目指した。天気は快晴。
釧路市内には昼頃に到着。今日のメインイベントは釧路湿原探索である。そこでまず、支笏湖でキャンプした時に教えてもらった釧路湿原で一番見晴らしが良いという岩保木展望台を探す。地図を見ると、国道391号線を左折して暫く走るとある・・・はずだったが、どこを走ってもわからない。途中で道なのか道でないのかわからないが、雨水の侵食が激しく、かなり荒れ果てていて危険そうだったので途中で止めたルートがあったが、もしかするとそこで正解だったかもしれない。仕方ないので、二股にある展望台へ行き、「蛇行する釧路川」を眺めた。
もっと違った風景が見たかったけどね
そこで再び地図を見ると、釧路湿原のど真ん中に道があるのを見つけた。その道は釧路市内から釧路川に沿ってまっすぐ北へ、それこそ地平線の先へ延びるようなダートだった。それこそ見渡す限り真平らな湿原の中を走ると、途中で通行止めになっていた。しかし、バイクならすき間から通過できる。ここまで来て引き返すのもシャクだし、もう二度とここへ来れないかもしれない。とりあえず行ける所まで行って、何かあれば引き返せばいいと考え、そのまま進むことにした。暫くそのまま快適に走ると、途中で道路工事をしていた。一瞬ドキリとしたが、なにくわぬ顔で工事の邪魔にならないように隅を静かに走り抜けてしまった。作業している人たちは、特にこちらを見るでもなし、気にもされなかった。
湿原奥に伸びる道
湿原をぐるりと回って、再び釧路市街に入った。出発前『カニを買ってくるように』という社長の言葉を思い出したからである。カニを売っている所はいろいろあるが、その中でも、釧路駅前にある『和商市場』へ行き、多分これくらいで充分だろうという量の『花咲』をみつくろって発送しておいた。(花咲が一番安かったんだもん)
霧多布に到着したものの
釧路からは、海鳥が飛び交う幣舞橋を渡り、海岸線沿いに昆布森方面へ向かい、尾幌で国道44号線へ合流。厚岸に着いたら厚岸大橋を渡り、道道1020号線で霧多布へ行こうというプランを立てた。時間的にはまだ余裕がある。
意気揚々と幣舞橋を渡り、釧路の住宅街に入ったところでいきなり濃霧が出現した。その霧は昆布森付近も全く同じで、一向に晴れる様子がない。地図で見たらダートかなと思った道路は、比較的新しい舗装道路になっていた。この辺りは波の音がはるか下の方から聞こえるので、海岸からは高台になってるようだ。わざわざ「ようだ」と書いたのは、濃い霧で海面が全く見えないから。波の音と、海鳥の泣き声だけが聞こえる。
厚岸に入ると一旦は霧が晴れたのは束の間のこと。厚岸大橋を渡ると再び先程よりもより濃厚な霧に包まれた。さっきまでの霧はどおって事なかったが、今度の霧は衣服が濡れてくる。久しぶりにカッパを着る事になった。霧の濃さを道路の白線で見ていたが、通常で10本程度、濃くなると5本以下に落ちた。前をよく見ていないと危なくて仕方ない。景色を楽しむ余裕なんて全く無い。(見たくても見えない)
結局途中で立ち寄ったのは『アヤメが原』だけ。でもね、このアヤメは丁度満開で、白い霧の中で紫色のアヤメが咲き乱れている様は幻想的ですらあった。もし晴れていたら印象が随分変わったのではないだろうか。ついでに海岸の方に行ってみた。海岸と言っても高台になっているので先程同様海面は見えない。
見下ろすと、自分の目の下を海鳥が飛んでいて、濃い霧の中から「すうっ」と姿を現し、再び濃い霧の中に消えていく。その様子が面白くて、しばらくそのまま眺めていた。
ここまで来れば目指す霧多布は目前だが、濃霧のままで何も見えない。天気が良ければ景色がいい筈の琵琶瀬展望台も当然何も見えない。この時ばかりは霧が恨めしかった。でも、どうしようもない。
夕方の5時頃に霧多布岬に到着した。キャンプ場では既にカトーが待機していた。
「へへ、ちゃんと着いたぞ」
「僕の方が早かったんですけど」
などという会話を交わした後、霧多布の役場に行くことになった。というのも、丁度その年にキャンプ場のバンガローが新設されたばかりで、一棟たったの400円で泊まれるというラッキーな情報を聞き付けたからだ。そのバンガローの中は意外に広く、4人寝ても楽勝のスペースがある。ワリカンにすれば激安でなはいかと思う。役場の人の話によると、一棟100万円もしたとか。(本当かしらん?)
最初たった4人しかいなかったキャンプ場も、暗くなるにつれて人数が増えてきて、最終的には11人になった。周囲は相変わらずの霧が立ち込め、かなり寒い。我々はあらかじめ下の町で薪を調達しておいたので、焚火を作って暖をとりながら夕食を作った。
しかし、用意した薪はキッチリ乾燥していたのか燃えるのが早く、長くは持たないのではないかという事実が判明。我々11人は一致団結して薪を集める事になった。こういう時のライダー間の結束は強い。この際だから正直に白状すると、キャンプ場のクイを抜いたり、売店の裏に転がっていた不要っぽい丸太を頂戴したのは我々です。ごめんなさい。そうして調達した薪は貴重なので、最後の1本が完ぺきに燃え尽きるまで有効に使わせて頂いた。焚火の火が無くなるまで楽しい話は途切れることはなかったのは言うまでもない。
話は少し戻るけど、TWは当時流行していたイエローバルブを装着していた。もともとTWのライトはしゃれ程度の明るさしか無いので殆ど無意味だったのだが、夜闇の濃霧にはかなり有効だった。白いライトよりも確実に見やすい。イエローバルブをつけてよかったと思ったのは、後にも先にもこの時だけ。
濃霧の中で浮かび上がる11台のバイク
薪が完全に燃え尽きた事を確認してから各々のバンガローに解散し、明日に備える事にした。濃霧は変わらない。バンガローの中で静かにしていると、寂しげな『霧笛』が響いてくる。音の大きさからすると近そうだ。波が砕ける音はたまに聞こえてくるだけだ。誰もいない外を見ると、やわらかな街灯の光をバックにシルエットとなって浮かぶ11台のバイクの姿が印象的だった。明日は晴れるだろうか。
本日の走行距離... 339km
次号その9 開陽台で地平線が見えるのか
そのまま沿岸を走り続け途中釧路で遊んで、厚岸から霧多布に向かった。
- その1 再び北海道の季節が到来!
- その2 出発時の期待と不安は独特のものがある
- その3 とにかくひたすらやることが無い
- その4 下船後は右に進むのか左に進むのかそれが問題
- その5 ニセコ、そして羊蹄山を攻略
- その6 朝からの雨のせいで出発する気分まるで無し
- その7 本日は帯広で連泊です
- その8 朝からご機嫌のダートを走り抜ける ←今ココ!
- その9 ライダーのメッカ開陽台を目指す
- その10 とりあえず札幌に向かいます
- その11 昼過ぎに札幌で集合することになっている
- その12 皆に見送られて小樽へ向かう、そしてフェリーへ
- その13 上陸直前、またしても雨が降ってきた、そして帰宅
- 北海道ツーリング1987 その13
- 北海道ツーリング1987 その12
- 北海道ツーリング1987 その11
- 北海道ツーリング1987 その10
- 北海道ツーリング1987 その9
- 北海道ツーリング1987 その7
- 北海道ツーリング1987 その6
- 北海道ツーリング1987 その5
- 北海道ツーリング1987 その4
- 北海道ツーリング1987 その3
- 北海道ツーリング1987 その2
- 北海道ツーリング1987 その1
- 北海道ツーリング1984 その7
- 北海道ツーリング1984 その6
- 北海道ツーリング1984 その5
- 北海道ツーリング1984 その4
- 北海道ツーリング1984 その3
- 北海道ツーリング1984 その2
- 北海道ツーリング1984 その1
- 東北ぐるり一周18きっぷの旅 1998 その9