山劇トラベルシリーズ |
伊代大洲は期待してただけに少々期待外れ
13時23分、電車というものは正確に目的地に到着してしまう。電車から降りると、やはり暑い。いい天気も困りものだ、と、都合が良いことばかり考えるのは人の常。
ここ、伊代大洲での滞在時間は内子より更に厳しく、ほんの1時間22分しかない。電車の待ち時間を考えるともっと少なくなる勘定だ。
こうなってしまったのも電車時間の接続時間の悪さにある。松山と伊予大洲を結ぶ間には従来の線とバイパス線の2本が存在していて、結果的にその途中にある内子を経由する本数が半分になってしまっている。
その悪条件の中で内子と伊予大洲で途中下車しようってんだからムリがある。でも、よっく考えてみたら内子と大洲ってすごく近いのだから、内子から大洲までさっさとタクシーを飛ばすという手もあった。どうせ2人いるのだし。
さらに悪いことに、伊代大洲の見所は駅前から1キロ以上離れているのである。歩いて行けなくもないが、今回は時間が惜しい。この時ばかりはバスの時間を調べているW氏を強引に説き伏せて、駅前からタクシーで飛ばすことにした。
「おはなはん通りまで行って下さい。」
歩けば20分近くかかる距離も、車だとものの5分で到着する。その名の通り、かつてNHKで放映されたというドラマの舞台がここにある。実際に行ってみるとその周辺一帯が観光地帯になっていて、明治時代といわれる古い町並みが姿を現す。先程の内子とは一味違った町並みがある。
しかし、でもね、それらの建物の一つ一つは大した事が無いっていうか、それらが点在していてその間はごくフツーの住宅地なものだから、どうも緊張感が無くてね。何だか妙に観光地しているというのも気になったし、あんましピンと来なかった。
その点で言うと内子は『妙に観光地してない』ってのがよかったのかな。勿論土産屋もあったし、観光客向けの店もあった。のに関わらずだ。この差は何処にあるのかな。
手元のガイドブックでの扱いも内子よりも伊予大洲の方が大きく紹介されている。だからきっとこちらの方が見応えがあるのかと思っていたら実際には逆で、僕らにとって面白かったのはむしろ扱いが小さな内子の方だった。
只でさえ時間が少ないと思っていたのに関わらず何故か時間が余ってしまったので、帰りは歩いて駅に向かうことにした。
この町は内子に比較すると遥かに大きいので、当然ながら車も多い。表通りを歩くと何だか埃だらけになりそうなので裏道を歩くことにする。でも、きっとこの道が旧街道ではないだろうかと思う。
途中、あまりの暑さに負けて冷えたビールを片手に飲みながら歩く。この辺りが電車旅のいいところ。車やバイクではこうはいかない。(いく人もいる。誰とは言わないけど)
いよいよ本日のクライマックス四万十川だが?
14時45分、電車は何時も通り定時に出発する。ただ、今度乗り込んだ車両はいつもの味気ないステンレス車両とは違って高級な感じの車両だった。シートは回転式クロスシートでクッションがいい。乗り込んだ時は車両を間違えたのではないかと思った。
これは想像だが、現在の特急車両が登場する迄はこの車両が特急として使用されていたのではないだろうか。そう思わせる程のワンランク上の車両であった。車両の中は意外なほどガラガラ。同じ車両には自分たちの他には数グループしか存在しない。
窓の外は特に海に近いとか、山の中というような感じではなく、只の田舎といった特徴の無い景色が流れていく。ガラガラの車内でうたた寝しつつ退屈をもてあそんでいる間に終着駅である宇和島に到着した。宇和島駅のホームはくし形をしており、其の先には線路が無い。文字通りの終着駅である。
次の予土線窪川行きへの乗り換え時間は30分近くある。次に乗るべき電車も確認済みである。今度は文字通りのレールバスタイプの小さなワンマン電車である。
ここで注目して頂きたいのは『電車』という事。今迄レールバス風の車両と言ったら例外なくディーゼルであった。ところがこいつにはちゃんとパンタグラフが付いている。だから速度が違うのである。1両しかないワンマン車両であるのが信じられない程の速度を出している。
今度はこの電車に乗って四万十川を横目で眺めながら終点の窪川まで行くという計画になっている。
窪川到着予定時刻は18時57分。今日もユースに宿泊する事になっているものの、やはり夕食の予約を取っていない。このままいくとどこかで外食という事になるのだが、窪川がどういったトコロか分からないので、この際車内で食べるつもりで駅弁を購入しておく事にする。
16時54分、半分くらい座席が埋まった状態の電車が宇和島のホームから出発した。方角的には今来た方向へ引き返す事になる。
その際に進行方向左側の席を確保したが、その時に改めて車内を見るとどうやら進行方向右側一番前が特等席だと判明した。その席に座ると前がよく見えるのである。
予土線は駅一つ分引き返し、北宇和島から進行方向右手へと枝分かれしていく。勿論単線だが、途端に線路敷きに雑草がぼうほうに生えていて、とても営業線に見えない。線としてのランクが下がると保守がこうも違うものか。
電車は最初のうちは平坦な田んぼの中を進んでいたが、そのうち狭い谷間を器用にくぐり抜けるようになり、次第に高度を上げていくようだ。四万十川は未だ見えない。
その時、どうも空が暗いなと思っていたらとうとう雨が降り出した。朝からずーっと宇和島を出発するまで、おもいっきり晴天だったのに。そういえば今回の旅行前に台風が接近していると天気予報で言いたのを思い出した。
松丸という駅の辺りで進行方向左側に川が寄り添ってくる。これは四万十川の支流である。流れは進行方向に向かって流れていて、見た目水量が多いように見える。とても清流ではないようだ。雨は時として強く、相変わらず降り続いている。
その支流も電車が江川崎に到着する辺りで、いよいよ四万十川本流と合流し、今後は四万十川を右に左に眺めながら窪川まで進んでいく。
ここで少々妙な事がある。電車は四万十川合流後はどんどん上流へと進んでいくのである。確か終点の窪川は限りなく土佐湾に近い筈だが、その窪川は四万十川の上流に位置している。気持的には下流へ下流へと進むというような気がするのだが、それは錯覚である。
さて、今日の夕食替りの牛肉弁当を食べながら眺めている四万十川は、はっきり言って濁流であった。そういえば先日宿泊したユースで、我々と反対周りでやって来た人がいて、その人が今日は大雨だったと言っていたのはこの辺りのことであった。・・・ような気がする。
何しろ大雨でも流されないようにと工夫した橋を沈下橋というが、その沈下橋が文字通り沈下している姿を車窓から見ることが出来たくらいの水量があった。それでも川縁の葦が水流で倒れている位置を見る限りではこれでも随分と水量が減少したと読み取れる。
これもやはり清流とはほど遠く、夕日に輝く水面を期待した我々の思惑は見事に外れてしまった。わざわざ其の時間を狙って電車に乗ったのに・・・。
電車は窪川に到着する一つ手前の若井駅から一駅だけ土佐くろしお鉄道を経由する。この辺りの精算はどうなるのかなと思っていたら、窪川の駅で見事に徴収されてしまった。駅員にとっては慣れたものであろう。
結局窪川の駅前に店はなく、駅の売店も閉まっていた。今回ばかりは駅弁作戦は成功したようだ。
さて次回はいよいよ最終日。
計画では殆ど一日中電車で揺られる事になっている。
土佐ではついに別行動!
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