2013年02月07日

山劇 No.085 どこかおかしいじぇ

山劇/となりの山劇シリーズ
今回はやや硬めのお話で

【まえがき】
 これは、2000年になった年頭に書いたものだす。現状とは若干違っているような気がするけど、気にしないことにしましょ。


 昨年は1999年ということで世間的にも何かが起こるのではないかと大騒ぎをしていたっけ。雑誌や漫画の誌上でも、これが最後の世紀末って感じで煽るだけ煽っておいて、今となってはそんな本を置いてあるコーナーすら無いといった有り様。果たしてあれは何だったんだろう? でもまぁあれは我々の生活に対する一種の警告ではあるわけだ。もちろん具体的にはどうだとか記載されているわけではないが、各人に対し『一度改めてみた方がいいぞよ』というメッセージとして捉えておく程度でいいのかもしれん。

 確かに昨年は地震や竜巻や大雨による被害が殊更に多かったような気がする。ウチの近所で言うならば国道156号線における国道流失。そして東海北陸自動車道の美濃美並間、のり面崩壊による土砂崩れ。ボクはたまたま近くを通りかかった際に見てしまったのだが、それはもう信じられないくらいの大規模な土砂崩れだった。復旧に何ケ月もかかるのも無理は無い。人災もまた多い。最近のトレンドは何と言っても『山陽新幹線トンネル事故』だろう。原因はいわゆる「手抜き工事」だというではないか。それでも今迄はなんとか持っていたからよかったが、ここに来て一気に寿命が来たんだろうねぇ。でもこれは新幹線に限った事ではないんじゃないの? この同時期に造られた高速道路や建造物なんかも危ないんじゃないの?

 でもまぁ、それでも本当に信じられない事故は未だ国内では起こっていないが、もう何年か前になるけど韓国のソウルだったけ?こちらで言うと木曾川の河口辺りにかかっているような橋桁がいきなり落ちたり、市内の百貨店ビルが突然崩壊したりしたっけ。調査によるとこれもやはり「手抜き工事」が原因と判った。いずれにしてもコンクリートや鉄製の建造物には寿命があるんだから、きちんと見極めないといけないかもね。ここら辺りには法律的には『耐用年数』ってやつがあるけど、あれはどちらかといえば『税金』的に区別しているだけだから、鉄筋コンクリートだから丈夫で長持ちだと安心しているのはでっかい間違い。  ボクから言わせるとね、耐用年数ってやつはその年数だけの建造物としての性能を保証するのではなく、JISか何かで定められている材料をいかに最小限使用して、満たしさえすれば良い基準でしかないと思う。その材料の質だって落とそうと思えばいくらでも落とすことが可能だから始末が悪い。

 いろんな作業マニュアルだってそう。確かに手順通り行えば一応の基準をクリアするモノが出来上がる。でもそれはベターであってベストではない。何故かというとマニュアルには『心』が入っていないから。ホント最近思うのだが、『職人』が少なくなってきた。ボクらの業界でもそう。文字の『組み版の基本』を知らなくても、コンピューターが自動でベターに仕上げてしまう。これだけでも一般 的には何ら問題は無い。でもそれはやはり見る人から見ればまだまだ『甘い』となる。その辺りを指摘しても、その理屈が理解できていない。ただ言われたままに修正するだけ。多分、これをベストの状態に持っていくのが職人の仕事となるのだろう。でも、こういった指摘をする人が最近はめっきり少なくなってきた。

 でもね、そんなマニュアル通りに動けばまだいい。そういうマニュアル通りにやらなかったからからこそ臨界事故が起こってしまった。元々そのマニュアルも怪しいモノだそうだが。そうしているうちに今度は年末が近づき、2000年問題のボリュームが高くなってきた。今でこそ大きな障害が発生していないが、小さな問題はいろいろ発生している。一番身近では、ボクの所に届くメールの年号が1938年で届くものがあった。何処かのサーバに問題があるのだろうか。確かに社内で使用している伝票関連の日付が従来2桁年号表示だったものを4桁表示に改良したとかいう問題(自分で構築したくせに)はあったが、社内ではそれ以外の問題は今のところ発生していない。

 何も起こらないのは良い知らせという事かもしれないけど、「何か起こるのでは」という期待もあるにはあった。また、何も起こらなかったのはそれだけ真剣に対処したからだという見方も有る。でも一方では何も対策を講じなかったという部分もあるわけで、そういう所がどうなったのか。というのも知りたい。いや、むしろね、こういった区切りに何やら騒動やテロが勃発するのではという気もしていたが、どうやら杞憂に終わって安心している。むしろこういった区切りにきっちりと暴れてくれるのはボーソー族共である。うちの近所でもきっちりと騒ぎを起こしてくれた。何とかならんのかなぁ。

 ボーソー族もそうだが、最近未成年の犯罪が質量共に悪質化しているのではないだろうか。そして報道のモラルや法律や裁判。そろそろ全面 的に見直す時期にあるのではないのか。例えば未成年が殺人を犯した場合、殺人犯の写真や名前が報道されなくて、被害者の氏名や写 真が幾度もなく掲載される。刑務所も一般とは違う。裁判方法も違う。判決も勿論違う。何とかならんのか。

 もちろん擁護論だってある。しかし、子供を殺された親に面と向かってそんな事が言えるのか。最近の弁護士もどこかおかしい。弁護士というのはただ単に依頼者の弁護をするのが弁護士の役目なのだろうか。有罪を覆して無罪に持ち込むのが弁護士の役割なのだろうか。裁判の時間を長引かせて時間を稼ぐ事が弁護士の役目なのだろうか。証拠が無ければ無罪なのか。事実を認めなければ無罪なのか。どこかがおかしい。

 道路交通法だってそう。実際誰だってスピード違反や駐車禁止の路面駐車をやっている。ウチの方で言えば、名古屋高速の法定速度を順守している車両なぞ一台も居ないぞ。会社の周りに路駐が無くなった日は無いぞ。一旦停止線をきっちりと守る車両なぞ一台も無いぞ。そして最近思うのは、信号が無い横断歩道で自主的に止まる車が殆ど無い事。歩行者は車が無くなってから気をつけて横断しなければいけない。何時からそうなったのかな~。

 道交法が現状とあっているかどうかという話は横に置いておいて、一度、厳密に取り締まってみてはどうだろう。別に警察に味方するつもりは微塵も無いけれど。1キロでも速度違反をしたら即現行犯逮捕。繁華街や住宅街の路駐は徹底的に取り締まる。車間距離も厳密に守らせる。危険走行も即逮捕。飲酒運転はもっての外。繁華街の駐車場やパーキングには一人ずつ警官を貼り付けて検査する。そもそも居酒屋や焼き鳥屋に車で行くというのが変な話ではないか。郊外で駐車場があるほうがおかしいだろ?

 さて、そうして徹底的にやると必ず破綻を起こすに違いない、混乱を来すに違いない。そうして、何処に無理があるのかきちんと見極めたらどうだろうか。何だか話が堅い方へと行ってしまった。いろいろと反論も出るかもしれないが、あるなら出してもらおう。



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posted by サンタ at 23:10| Comment(0) | 本家山劇/となりの山劇 | 更新情報をチェックする
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