2013年02月02日

山劇 No.050 嫌いじゃ その5

山劇/となりの山劇シリーズ
車でなくても並ぶ事自体が嫌い

 新しい話かと思ったら、前回の続編です。今回は並ぶことが嫌いと言う話。前回はたまたま車の渋滞の話になってしまったが、本来『並ぶ事自体』が嫌いなのです。 どーにも我慢できん。

 例えば、美味しいという噂の店があって、それなら一度食べてみようとカミさんとその店へ行ったとします。でも、そういう店って大概混んでいるじゃあないですか。特にタウン誌かなんかに紹介でもされようものなら、片手に本を持った連中が群れをなしてやって来る事至極。そうなると途端に行列が出来ちゃうんですよね。店の前迄やって来てそういう行列の光景を見ると、本能的に帰りたくなってしまうのです。

 「帰るぞ!」
 「えー、どうしてー。せっかく来たのに。」
 「帰るったら帰る!」
 「ブツブツ・・・・」

 こうして店の前で翻した事は少なくありません。その度にカミさんに文句を言われる。でも、嫌いなものは嫌いだからしゃーねぇだろ。

 どーしてなんだろーねー。これがものの5分や10分くらい待つだけなら多少は我慢してもいいけれど、30分も待つような行列には並ぶことが出来ない。それでも我慢して並んで、いざイスに座って食べ始めたとしても、その場所が狭かったり、やたら相席を勧める店だったり、外の行列から食べる所が丸見えだったりすると、多分その店へは2度と足を運ばない。

 行列が嫌いなのは何も食べ物の店に限らない。いろいろな施設。例えば美術館の行列も最も嫌いな部類に入る。

 この際だから名指しで言わせてもらうが、中でも一番我慢ならんのが『名古屋市美術館』。ここは公的な美術館としてはとにかく狭い。建物の設計はかの有名な黒川紀章氏であり、建造物としてはとても面白い。しかし、一旦イベントが始まる度に出来上がる行列は何とかならんのか。

 誰が何と言おうと、絶対的な空間が不足している。壁面の面積が不足しているから、展示物の点数が多いと通 路がまるで『鰻の寝床』のような構成になる。これが必然的に『通路順』を生み、美術鑑賞者は狭くて暗い通 路の中をまるでベルトコンベアのように流されていくだけである。客が少なければ此れでも良いかもしれぬ が、たいていの場合は一度に入りきれない程の人が集まる。すると当然『入場規制』が行われ、場合によっては時間制限がある場合があったりする。そう、時間が来ると追い出されるのである。勿論そこまでする事はまれだが、そもそもそんな狭い美術館に行きたくない。仮にも名古屋市と名が付く公共物があんなに狭くて良いのか。と言いたくなってくる。

 話がそれた。若干コーフン気味である。

 その他にはアミューズメントやテーマパーク。具体的には『ディズニーランド』なんかも行列の代表格ではなかろうか。ワシのカミさんはどういうわけだかこのディズニーランドが大好きであり、一緒に2度程行った事がある。一緒には行くには行ったが、実を言うとワシはディズニーランドへ行くのはあまり好きではない。

 これは別にディズニーキャラクターが嫌いという訳ではない。あの行列が嫌いなのである。多分皆さんは御存知だと思う。各テーマの乗り物の行列は半端ではない。しかもその行列は外からは解らないように巧妙に隠されている。

 「ほら、あそこ空いていそうよ。」
 「じゃあ、行ってみようか。」

 などと軽い気持ちで行ってみると、必ずだまされるのである。例えば植木の向こう側につづら折りになった行列が出現し、早々と建物の中に入ったと思ったら、建物の中がまるでラッシュ時の満員電車のごとくだったりと、なんだか行列する人を人と扱っていないのではないかという錯覚がしてくる。勿論被害妄想である。

 当然ながら一日中園内に居ても全ての施設を回れるばかりか、数個しか制覇できない。何もそんなに乗ることばかり考えなくてもと思うのだが、カミさんは乗る事しか頭に無い。たまに休憩しようかと思ったら次は土産屋に入り浸りになる。

 「おいおい、何時までそんなことをやってんだよ。」
 「うるさいわね!。ちょっと黙ってて!」

 我が家はいつもこれでケンカが絶えないのである。

 何やら話の本筋が解らなくなてきた。
  行列が嫌いという話だった。確か。



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ラベル:山劇 行列
posted by サンタ at 19:09| Comment(0) | 本家山劇/となりの山劇 | 更新情報をチェックする
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