2013年02月02日

山劇 No.036 携帯を持って無かった頃2

山劇/となりの山劇シリーズ
君たち、その説得は無駄だw

 私は表題の通り、かつて一切の携帯電話等の携帯通信機器を長い間持たなかった人なのであります。そりゃあ、あればあったで便利かもしれん。でも、無くても特に不自由はしていない。この事をね、他の連中にするといろんな事を言うのです。

 「待ち合わせで便利だぞ」

 「万が一離れたときにも連絡が取れる」

 「いつでも連絡できる」

 「会社でも気兼ねなく電話を受け取れる」

 これに対してこう言う事にしている。

待ち合わせは遅刻しなければよい。最初から遅刻を前提にする方がおかしい。

離れてしまった時の集合場所と時間を決めておけば済む事。

そんなにいつも都合よく捕まりたくはない。本当の緊急の用件はそれ程多くはない。

  別に会社に気兼ねしていないし、電話がいやならメールという手段もある。

 勿論これは一日の半分以上は会社の中に居るからという事を前提にしている。これが殆ど会社に居ない仕事をしていたら必要だから持つであろう。でも、今は必要ない。

 だいたい妙だとは思わないか。こないだ近所の『松屋』という牛飯屋で食事していたら、6人くらいの若い男の集団が入ってきて、席に座ると同時に全員一斉に左手に持っていた電話をテーブルの上に置くのだよ。一人残らず。それから、仕事中に個人の携帯に受信すると、例外なく外へ出てこそこそと話をしている。そういうのを見ていると、何か変な、どこか間違っているのではないかという気がする。考えが古いのかな?

 携帯が嫌いな理由はもうひとつあって、携帯は音質が悪い。すぐに音が飛んだり消えたりする。しかも何時も連絡できる筈が受信範囲外とか、悪いやつはわざと切ってあったり等てんで連絡がとれなかったりする。こっちの方が余程イライラする。

 さらにもう一つ。会議や打ち合わせやセミナーの現場に電話がかかってくるのをよく見かける。最近の電車車内ではよく「マナーボタンを・・・」というアナウンスがかかるが、会議や電車に乗る際にいちいちボタンを押すやつがいるか。絶対に居ない。そもそも打ち合わせの相手に電話がかかってきて、会議が中断するのは勿論だが、目の前で何分も話をされるというのは不愉快だと思う。でも、今では殆どの人が持っているから、案外『お互い様』という暗黙の了解ができつつあるようないやな風潮がある。

 車を運転しながら電話をしている奴がまだまだ多い。こういう車はよくわかる。動きがどこかぎこちない。交差点に入ってくる時でもこちらの顔を見ていないから、こちらが優先でもつい止まってしまう。これでぶつけられそうになった事はいくらでもある。 なんでも電話や車内テレビが原因での事故に対しての法律が出来たそうだが、甘いのではないか。運転者が電話をする行為自体を違反とするべきではないのか。運転者の電話、即現行犯逮捕。これくらいやってもらわないと、危なくて仕方がない。罰則が甘いのは日本の法律の特徴ではあるが。イカン。久しぶりに熱くなった。冷静になろう。

 でもね、そうは言っても持たない言い訳に過ぎないってのは分かってんだよ。やっぱり持たない本当の理由は料金だね。以前から、『受信だけ』という利用だったらリーズナブルな料金設定があった。現在ではもっと安くはっているが、それでもやっぱり高いという感覚があって、なかなか踏み出せない。それに、今絶対必要と言うわけでもないし。携帯電話はまだまだ成長市場だから、もっともっと機材も料金も有利になってくる筈。だから、本当に手軽になるか、本当に必要になるまで待つつもり。

その後:
これから暫くして、ある理由から携帯を押し付けられてしまった。その機種をいまだにず~~~~~っと使用しているんだけど、見せると誰もが驚くね。それが面白くてネタになるから機種変更しない、っていうか、壊れないんだよ。そろそろカメラ付が欲しくなった今日このごろではあります。(結局優柔不断)



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ラベル:山劇 携帯電話
posted by サンタ at 15:21| Comment(0) | 本家山劇/となりの山劇 | 更新情報をチェックする
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