2013年02月02日

山劇 No.025 あの頃のワシ その8

山劇/となりの山劇シリーズ
昔の仮家はとんでもない安普請

新しいウチ。

 名古屋市の区画整理行政により、いきなり引っ越すことになったのは前回の通り。そしてその順番としては表通りから離れた家から引っ越すのがスジという事で、私の家が何故かトップバッターとなった。とは言っても引っ越し先の家がある訳ではない。それではどうするのか。答えは簡単。マッキントッシュで言うところの「クリップボード」方式だ。とりあえず仮に一時保存するってやつね。そーいう事で、前塚町のウチから150メートル程西南西の方角で、しかも国道19号線沿いという非常に有り難い場所に、「仮家」(今で言う仮設住宅)が建設された。新しく設置されたとは言っても既にさんざん使い回しているらしく、かなり老朽化している。部屋は2部屋あるがやはり風呂は無いし、トイレは浄化槽の汲み取り。これが2軒続きの長屋タイプだったが、たまたま同時期に使う家族が無かったので、私の家族だけで広々2軒分を使用していた。そういういきさつで思いがけなく専用の個室が手に入って嬉しかった。

 しかもその仮家には狭いながらも庭が付いていて、その庭で充分に遊ぶ事ができた。ただ、難点がある。仮家の真ん前は天下の国道19号線、通称「伏見通り」は当時から鬼のような交通量を誇り、車の走る音や振動が夜間も続き、慣れるまでが大変だった。そしてその仮家がまた工事用プレハブに毛が生えたようなお粗末な造りで、無いに等しいような外壁は、冬が来るとやたら寒かった。そんな時は自分の部屋に居ると寒いので、結局皆が同じ部屋で生活をしていた。

 そこで住んでいた当時、新しく出来上がる家が徐々に家の形になる様子を毎日見に行ったものだ。しかし、昔の家作りというものは今の様なお手軽ではなくきちんとした大工の仕事だったので、出来上がる迄に半年くらいはかかったのではないだろうか。そうして新しいわが家が完成した時には、小学校3年生になっていた。前塚町の家から仮家に引っ越した時もそうだったが、仮家から新しい家に引っ越す時も母の弟(叔父)が手伝いに来て、家財道具も少ないものだから、あっという間に終わってしまった。その新築の家は見た目は新しいが、話によると柱なんかに使ってある材木は前の前塚町の家を解体した古い材料であるという。

 どおりでそこら中が黒ずんでるわけだ。しかし、内装のベニヤ板や床材や、階段なんかは新品の材料を使っていたので、決して古いという感覚はない。そお、今度の家はあこがれの2階があったのです。部屋の数は以前の倍で4部屋もあるし、なによりの驚きは内風呂がついた事です。今までずーっと銭湯通 いだったでしょう、もう内風呂が珍しくてしょうがなかったのです。こうして家の中が広くなったので私の両親はいろいろな文化的なモノを奮発したようです。まず、台所には4人掛けのテーブルが入りました。1階のリビングにはソファーが入りました。そして2階の私と弟の部屋には2階建てベッドが入りました。こうして、私の家族は早くも新居に馴染んで行ったのです。

 そういえば、話が少し戻りますが、この家の建築中に少し事件が起きました。地面の中から古い人骨が出てきたのです。ですが、古い書類によるとこの辺りは一帯墓地だったそうで、どこから人骨が出てきても不思議ではないという話らしいです。ですから出土した人骨は丁重に供養され、再び建築を再開したそうな。



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ラベル:昔話 山劇
posted by サンタ at 11:57| Comment(0) | 本家山劇/となりの山劇 | 更新情報をチェックする
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