2013年02月02日

山劇 No.023 あの頃のワシ その6

山劇/となりの山劇シリーズ
遊び場は近所のそこらじゅうにあった

お寺は僕らのアミューズメント。

 快適な保育園の生活もいつの間にか無事に終了し、いよいよ小学校に入学する季節になった。当然ながら、今までとは生活環境がガラリと変わる事になる。かつて私の通った学校は、名古屋市中区松原にあり、その町名そのまま「松原小学校」というが、各学年2クラス、全校で12クラスしかないという極めて小規模な学校だった。その小学校に通っていた当時はそれが当然であり別に不思議でも何でもなかったが、後々進学して名古屋市内の友人にその事を話すと、どうやら私の小学校は名古屋市内にしてはかなり珍しい少数児童の学校だったようだ。

 児童数が少ないせいもあるかないか解らないが、松原小学校には制服があった。靴は何でもよかったが、シャツに半ズボンに、ダブルの上着。あとはこれに何処でもあるようなランドセルと黄色い帽子がセットになる。この制服も、当時は普通に着用していたが、後々よくよく話を聞くと、私立でもない小学校で制服がある公立小学校は珍しい部類に入るそうだ。おかげで、高校を卒業し、大学に入学して初めて私服での通学を経験した。しかし、母の話しによると、むしろ制服があったほうが、着る服に気を遣わなくてよく、かえって安くついたと言っている。案外そんなものかもしれない。

 私のウチと学校までは、直線にして約500メートルくらい。現在改めて歩いてみるとすごく近い部類に入るが、当時としては、学校は遠いと感じた。通学方法は当然ながら集団通学というやつで、町内を単位として分団長を先頭に、1年生から6年生までがきちんと整列をして登校するのだ。通 学の難所は、私の町内から学校へは国道19号線を跨いでいて、この当時としては破格な片側5車線の道路を信号で渡らなくてはいけない。しかも信号間隔が短いので、この場所には婦人警官が朝夕常駐し、ミドリのおばさんが数人がかりで児童を保護していた。しかしその後、ウチの近くには歩道橋が新設されたので、少なくとも私の町内は危険な信号を渡らなくてもよくなった。

 その頃の生活はどうだっただろうか。多分保育園の時の生活とあまり変わらないと思うが、小学校に入ってから、年上の集団に混ざって遊んでいたようだ。 私の家のごく近所には、私と同じ歳が4人、一歳上と二歳上と三歳上が各々一人ずついて、常にこの集団で行動していた。生活の場としては、相変わらず狭い路地の中がメインだが、自転車に乗るようになると、広い空き地がある西別院(西本願寺名古屋別院)の中が主な遊び場になった。
 当時の西別院は、今の本堂がある部分がまるごと空き地状になっていて、そこら中草でボーボーになっていたが、一応バックネットがあったりして、野球場としても使っていたようだ。ちなみに、当時の西別院の本堂は、現在の正門を入ってすぐの右側にあった。私はこの空き地で無事、自転車の補助輪と惜別する事に成功したのだ。

 今ではすっかりジジババの世界になってしまったが、年に2回の「お彼岸」が近づくと心ウキウキとしたものだった。と言うのも、お彼岸になると東別院(東本願寺名古屋別院)には数多くの店が並び、そこには射的や投げ輪やパチンコやスマートボール等の遊びや、文字通りガマの油売りに、蛇を使った油売りが怪しげな口上で人垣をつくり、タコヤキに焼きそばにイカ焼きにカルメラ焼きにベッコ飴なんかの屋台があり、おまけに敷地内に妙な小屋が建ったこともあり、それは今で言うアミューズメントワールドだった。私らの集団は小遣いを握り締めて、何を買おうかと目じりを釣り上げながら真剣に徘徊していたが、何だかんだ言って、スマートボールと輪投げと、一番安いベッコ飴を買うのが定番だった。たいていそこで小遣いが無くなるのだ。

 それが父と一緒に来ると事情が違う。父と一緒に東別院へ行くと、私はいつもヒヨコをねだった。こうして買い求めたヒヨコはたいてい小さなうちに死んでしまう事が殆どで、大きく育つ事が一度も無かった。私はその冷たくなって堅くなったヒヨコの亡骸を見る度に泣きながら近くの空き地に埋めて墓とした。しかし、1度だけ例外がある。小さなヒナの頃を脱したヒヨコが居た。ある日私は家の近くの空き地にヒヨコを放ち、新鮮な草を食べさせていた。段々大きく丈夫くなってきたので、嬉しくて仕方がなかった。ところが、私の目の前にどこかの猫が突然現れ、私のヒヨコを素早くくわえて何処かへ行ってしまったのだ。それは本当に一瞬の出来事だった。

 私は何が起こったのかしばらく理解できなかったが、どこを探してもヒヨコが居ないとわかると、その場で大声で泣きだした。その声を聞いて母が飛び出して来たのだが、ヒヨコが戻る訳でもない。 私はそれからしばらく、夜になると何処かでヒヨコの声が聞こえてくるような気がして、その度に泣いた。そんな事件があって以来、私はヒヨコが欲しいとねだらなくなった。



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ラベル:山劇 昔話
posted by サンタ at 11:40| Comment(0) | 本家山劇/となりの山劇 | 更新情報をチェックする
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