無いに等しい幼少の記憶。続編。
この幼少の頃、どうやら一番各地色々な場所へ連れて行ってもらっていたらしい。それは現存している数多くの写真が証明している。というのも、私が母方の初孫だという事で、親戚中の注目と興味を一手に引き受けていたという話らしい。引き手あまたの人気者だったのである。別の見方をすると、ただ珍しいだけの『動くぬいぐるみ』とも言うらしいが。否定はしない。
ともかくその古い写真によると、訪れた場所は京都や高山が多く、静岡や北陸、様々な各地の観光地に古寺。もう海に山にといろんな写真がある。しかし残念ながらそのすべてが奇麗サッパリと見事なまでに記憶に無い。記憶が無いのに関わらず、ただ写真だけが残っているのだ。それと比べると、私の弟は3歳違うだけだが、私に比べると証明する写真の数が圧倒的に少ない。その事情は今の自分に当てはめて考えるとよくわかる。現在私には7歳と4歳の息子がいるが、兄貴の方が圧倒的に写真の数が多いのである。それはただ単に3年の時間だけの問題ではなく、シャッターを切った回数が圧倒的に違うのである。
「あんた『だけ』が得しているんだよ」
私の祖母や叔父叔母は、この歳になっても私に向かって何かあるにつけ今でもそう言う。物的証拠に完全包囲されているので、「嘘をつけ」とも言えない。
「そのとおりでございますだ、お代官様。」としか言えないのである。
私の父は早くからカメラに凝っていて、当時としては立派なオリンパス製のレンジファインダー式のカメラを持っていたが、残念ながら知識的には凝っていなかった。だが、カラー写真が普及していない頃から枚数だけは撮っていてくれたので、今ではその写真は貴重である。現在では全く変わってしまった当時の風景が、そこに写っている。私が住んでいた昔の家や、区画整理前の近所。本堂が東向きだった頃の大須観音。デパートの屋上の遊技施設の全盛期、松坂屋や、オリエンタルナカムラ(現在三越)の屋上の賑やか振りが写っている。これらの写真は、今となっては私の貴重な財産だ。
話がそれるが、今住んでいる家の中や、外観、近所の風景をなるべく満遍なく撮影しておくと、その写 真は何十年したら面白い写真になるに違いない。町の風景は時代とともに変化しているので、思い掛けない発見があるだろうと思う。そのカメラもいつの間にか動かなくなり、次に父が購入したペンタックスの一眼レフは交換レンズ共々後年私が遺失してしまった。その次のカメラはオートのコンパクトカメラになってっしまったから、なんだか父に悪い事したなと思って数年前、別の一眼レフのカメラを贈ろうとしたが、最近はコンパクトで十分だと言って断られた。なんとも後味が悪い。
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