2013年02月02日

山劇 No.021 あの頃のワシ その4

山劇/となりの山劇シリーズ
下町の生活は結構楽しかったりする

まちに物売りがやって来る

 最近はとんと見かけなくなったけど、あの当時は町にいろいろな食料品等を売りにやってきたものだ。先ず最初に、今でも昔ながらの仕組みを保ち続けてるのが、いわゆる『置き薬』。時代劇の中ではよく『富山の薬売り』ってのがあったけど、まさにその通り。本当に富山からやって来たのだった。薬の中身は主に熱冷ましと腹薬。それと胃薬だった様な気がする。それらの薬は現在のような『糖衣錠』だったり、『カプセル』でも飲みやすく加工された『顆粒』でもない。今では考えられないが、昔の置き薬は完全に密封されていなかった。薬はそれぞれ一包み一包み丁寧に折り紙のように折られた紙の小包み状になっていた。それらの薬の味はまさに『良薬口に苦し』のごとくゲロ苦い粉薬が中に入っていたのだった。そういった苦い薬を飲むために昔はよく『オブラート』が利用された。今でも子供用にカプセルのような容器が販売されている。そのオブラートってのも慣れないと飲みにくい。でも、少なくともウチにはあんましなかった。

 薬売りなんて年を通じてそれ程やって来ないけれど、『リヤカーの八百屋』さんは毎日夕方に必ずやって来て近所に売り歩いていた。野菜類を満載したリヤカーと言うよりも大八車に近い車をウチのまん前に停めるのだった。毎日やってくるのは『豆腐売り』もそうだ。豆腐売りは確か自転車だったよなぁ・・・そこら辺り記憶曖昧で申し訳ないけが、夕方になって豆腐売りの独特な笛の音が聞こえてくると、母は私にボールを持たせて走らせた。豆腐売りは毎日同じルートで廻っているので、音が聞こえる方向で現在地を測り、一目散にXポイントに走るのだった。

 毎日やって来ないものとして印象にあるのが『卵売り』。この卵屋のおやじは家の卵の在庫が丁度無くなったのを見越したように卵を持ってやって来る。それでいつも約30個くらい置いていくのだ。また、この卵屋のおやじは家に母が居ない時でも平気で卵を置いていった。自分が留守番している時などお金があるわけ無いので、お金はその次に時に支払っていたのだろう。

 それから『魚売り』のおばあちゃん。何でも『一色』の方から魚を背中のカゴに入れて行商にやって来るのである。昔一色って言うからてっきり三河の方だとばかり思ってたら一色は一色でも名古屋の下之一色だとわかったのは随分後のことだ。そのおばあちゃんはいつも家にやって来る順番が最後の方らしく、言い方が悪いが残り物をまとめて安く置いていったようだ。やっぱり持ってきた魚を再び持って帰りたくは無いのだろう。ウチにやって来るとヤレヤレという感じで随分寛いでいたようだった。

 これもまたたまにしかやって来ないが楽しみだったのは通称『どかん』と呼んでいた『米はぜ屋さん』。これはお菓子を作るときに圧力を利用するのか、景気良く「ドカン」と音がしたからそう呼んでいた。この音がすると皆米とザラメを持って音がする方へ走るのである。行くと既に順番待ちとやじ馬の人だかりになっていて、その親父に持ってきた米とザラメを差し出すと、親父は黙ってその妙な窯の中に米を入れる。あとは「ドカン」という音がすると出来上がりだ。いつも一斗缶 にいっぱいにして貰うのだった。

 夏の暑い日に公園等で遊んでいるとやって来るのが『アイスキャンディー屋』さん。自転車の後に四角い箱を括りつけてやって来るのである。それからこれも暑い日に限るけど、『わらび餅屋』さんもやって来る。これは今でも町で見かけるが、現在のように軽自動車ではなくてリヤカー。それを自転車もしくは自分で引いてやって来るのである。その当時、子供の事だからせいぜい数十円。今のような味気ないスチロールではなくてちゃんとした舟の形をした薄板細工の容器に冷たいわらび餅を盛り上げてくれたのだった。

 それから子供らの前しか現れないのが『怪しい手品師』。何やら文字が消える魔法の粉とか、よくわからん手品の小道具とかをいろいろ実演販売していて、子供たちにはなかなか人気があった。でも、実際に買ってみて見てみるとそれらかなりお粗末なつくりであり、なかなか実演とおりの効果 を発揮してくれないのであった。今ならどう見ても完璧な子供だましなのだけど、その当時はキラキラ光って見えたのである。

 冬になると『石焼き芋屋』さんやら『ラーメン屋』さん等がやって来る。これも先ほどのわらび餅と同様で、軽自動車ではなくてリヤカーを引いてやって来るのである。そのラーメン屋はいつもは遠くをかすめていくだけなのに、時たま家の前にやって来た時に呼び止め、家の前で作ってもらうのだが、出来上がるラーメンの容器は今のような安っぽいスチロールの容器ではなく、ちゃんとした陶器だった。そのせいか、ラーメンを最後まで食べ終わるまでその場で待っていてくれたのだ。寒い日に外でラーメンを食べるのもなかなか面白かった。でも、待たせるってのもやっぱどこか申し訳ないんだよね。そんな時はラーメン丼を持参して、さっさと家の中に持ち帰って食べていた。

 あとは実際に見たことが無いもの。先ずは『ロバのパン屋』さん。話によると本物のロバが道路を堂々と歩いていたという。恐縮ながら見たことが無い。それから『紙芝居屋』さん。これもない。無いが、近所の家に何故か紙芝居の道具一式がそこにあった。紙の表には絵柄が、裏側にはセリフが印刷されていたので、紙芝居を見たことは無いけれど、紙芝居ごっこはやっていた。

 思い出せるのはこれくらいかな。実際はもっといろいろあったような気がする。以前はこのような物売りをたくさん見かけたけど、最近は全然見ないなぁ。



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ラベル:山劇 昔話
posted by サンタ at 11:19| Comment(0) | 本家山劇/となりの山劇 | 更新情報をチェックする
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