2013年02月01日

山劇 No.009 ああ、名古屋の巻。その5

山劇/となりの山劇シリーズ
名古屋人の傾向と対策

 前回同様今回も名古屋という街と文化を、キーワードを基にしてひもといてみようと思います。これで、名古屋人の傾向と対策がわかるかも?(かえって誤解したりして)

※注意 以下はJRタワービル建設以前に書いた文章です。文中には現在とは事情が違う表記がありますが、修正するのがめんどくさいので原文のまま掲載します。人間、些細な事を気にしてはいけません。

<金の鯱>
 名古屋と金の鯱は切っても切れない関係なのは、名古屋城の屋根に金の鯱が乗っているせいかもしれない。昔名古屋にあったプロ野球球団の名前も「金鯱軍」と言ったそうだし、名古屋港に運行している観光遊覧船(金鯱号)の外観を見たら開いた口が塞がらない。こと左様に名古屋のマスコットと言えば鯱が起用される。国体の名前もシャチだし、壁面に巨大な鯱がかかれている公団住宅は実在します。
 では何故名古屋においては金の鯱が喜ばれているのか、それは謎だ。ただ、この嗜好は一般大衆の中にもあるようだ。何を隠そう、私は屋根に乗せる鬼瓦をデザインする全国でも数が少ないであろうデザイナーの一人。その取り引きしている鬼瓦会社の総合カタログに、金色に輝く鯱の鬼瓦が存在する。正確に言うとそれは「鬼瓦」ではないのだが、切妻屋根の両端に設置すると、どの屋根も名古屋城になれるのである。私は社長に、

「まさかコレ、売れないでしょう。」

と聞くと、

「何言っとりゃあす、これが売れるだら。見てみりん、これが竣工写真じゃんね。」

 そう言って写真を見せてくれた。そこには確かにキンキンに輝く金の鯱が屋根に鎮座していた。でも、あの手の鯱を乗せるにはよほど大きな家か立派な家でないと無理がある。名古屋というよりも、むしろ三河ならではの光景ではなかろうか。

 ところで、名古屋港で「あの」金鯱号に乗ったことがある人、手を上げなさい。

<ドラゴンズ>
 言わずと知れたご当地名古屋をホームグラウンドとするプロ野球チームである。チームの歴史うんぬんを書き始めるととても長くなるので書かないが、「ドラキチ」と呼ばれる非常に熱心なファンが多い。潜在的ファンを含めるとおそらく名古屋人の7割以上はドラゴンズファン(と同時にアンチ巨人)ではあるまいか。かくいう私の家系も先祖代々(おおげさな!)ドラゴンズファンであり、この家ではドラゴンズ以外のチームを応援しようものならその瞬間に異端児のらく印が押され、親戚関係の宴会が催される度に話題に出され疎外され、生涯身が狭い思いをすることになるのである。

 一昨年亡くなったじいさまも、最近定年退職した私の父も、ドラゴンズが勝っているときはとても機嫌がいいが、ひとたび不利になるとすぐにチャンネルを替えてしまう癖があった。それでも勝ったとわかると、プロ野球ニュースのはしごをし、翌日の朝刊を熱心に眺め、気前がいい時は駅の売店で中スポ(中日スポーツ)を購入してしまう。恐ろしいのは、私自身もこのような行動パターンの気があることで、遺伝かなぁ、と考えてしまう時がある。

 私のかつて幼少時代は、当時住んでいた場所が比較的中日球場(旧名古屋球場)に近かったコトもあり、当然ながら近所は全てドラゴンズファンだった。夏休みになると、近所のガキ共が群れをなして中日球場へナイターを観に行くというのが夏の風物詩であった。当然ウチから球場まで歩いて行くのである。その連中は一人残らず少年ドラゴンズに入会していて、全員が「CD」マーク入りの青い帽子を被っていたというのは言うまでもないだろう。

 先程少し出てきたが、名古屋地方では「中日新聞」の発行部数が第1位であり、他紙を大きく離している。そして「中スポ」こそはご当地名古屋の、ドラゴンズファンのためのドラゴンズ新聞であり、その売り上げ部数はドラゴンズの勝ち負けによって大変動するという。それと多少関連ある話だが、この地方ではドラゴンズが負けた翌日に商談をするべからずという鉄則がある。担当者が不機嫌でまとまるものもまとまらないという、冗談みたいなホントの話である。営業マンにとっては毎朝中スポをチェックすることは基本中の基本となっている。



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ラベル:山劇
posted by サンタ at 23:51| Comment(0) | 本家山劇/となりの山劇 | 更新情報をチェックする
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